< 今日のこころ >













2009年2月分
2009/2/28
いま、地球上で7分間に1種の生物が絶滅しているそうです。
それは、地球温暖化の影響だけではなく
乱獲や捕獲、生態系の崩壊など
色々な原因だそうです。

数日前のニュースで、滋賀県甲賀市で農作物に被害を
与えていた野生のニホンザルの群れのうち
133頭を捕獲し殺処分にしたとありました。

この処分は、いいのか悪いのかは、私は言えません。
農作物に被害が出れば、人間が困ります。
でも山林地域など、本来ニホンザルが自然に生息し
その中で、エサも賄っていた昔と変わり
土地開発や、必要以上の樹木の伐採などによって
住む所を追われ、エサ場も減り、やむなく人間の住む場所へ
出てこざるをえなかったという背景はどうなのでしょうか。

すぐに人間の立場で考えてしまいがちですが
ニホンザルも生きること“生命の継続”のために
出た行動なのでしょう。

反対に人間の今回の行動も、生きること“生命の継続”のために
食料を作り、他の人達に供給するために
それらを守るために、捕獲し処分したのでしょう。
どちらも“生命”に関わるからが理由でしょう。

人間以外の動物は、本来自分が食べる量以上は
摂取しないと聞いたことがあります。
ライオンでもそうです。
いくら目の前にエサとなる動物がいても
自分のおなかがいっぱいなら、捕獲しません。

人間はどうですか?
毎日毎日、たくさんの食べ物を作っています。
そしてたくさんの食べ物を廃棄しています。

子供のころ、“お米一粒にもたくさんの神様が宿っているんだよ”と
祖父母に言われました。
だから、お米一粒でも残しちゃだめだよと。

食べ物を粗末にする人間と
食べ物がなくて、人間の住む場所に来ざるをえなかった猿。

数年後、“ニホンザルが絶滅の危機に…”なんていう
ニュースが起こった時に、人間はどうするのでしょうか。


2009/2/12
自宅のこたつが壊れました。
我が家の暖房器具は、こたつとエアコンでした。
でも電気代もかかりますし、空気も乾燥するので
エアコンはほとんどつけずに、こたつを愛用していました。

どこが壊れたのかは、専門家ではないのでわかりません。
でもへたに、触ると感電しても怖いので
食卓として、引き続き利用するか
はたまた、新しいものを購入するか悩みました。

で、昨日のお休みに電気屋さんに見に行ってきました。
………電化製品ってやっぱり高いですね。
エコ商品となると、機能も優れていますが
その分、やっぱりお高い。
自宅でも、職場でも“クラッシャー”で通っている私ですから
高価なものを購入して、また壊しでもしたらと思うと。
良いとはわかっていますが、手が出ませんでした。

2軒の電気屋さんを回り、お財布と相談した結果、
お値段の手頃なホットカーペットを購入しました。
足下や腰下が、座ると暖かく、その上にこたつを置いて
こたつ布団をかけておくと、けっこう暖かいんですよね。
スイッチを切っても、暖かさは少し残りますし。

自宅では、フリース素材の部屋着を着て、腰にも
カーデガンを巻いています。
こうすると台所仕事をしていても、おなかと腰が結構暖かいんです。
スリッパも普通のものではなく、ニワトリのようなひよこのような
ぬいぐるみ型で、足首の部分は抜けないように靴下のように
編まれた形のものを愛用しています。
これで、足首が冷えて痛くなったりせず、台所で長時間立っていても
大丈夫なんです。

トイレの便座には、100円ショップで購入した
フェルト素材のシートを貼っています。
何度も洗濯できるし、暖かいので、おしりが冷えることもありません。

こんな風に、暖房に頼らなくても“暖かくする”ことは
できますよね。(雪の降るような場所では、難しいですけれど。
ありがたいことに、大阪は案外暖かいです)
電気を使わなければ、資源も節約できるし
お財布も節約できる。一挙両得です。

そして、もう一つ。温かいお鍋を食べて体を暖める。
これで“賢い主婦”になれるでしょうか?


2009/2/3
今日は節分ですね。
子供の頃は、玄関先にいわしの頭と骨だけになったものを
柊につけて飾り、邪気を払い、家族で豆まきをしたあと
部屋の中に蒔いた豆を、年の数だけ拾い集めて
弟と競いながら食べたりしました。
時折、年末の大掃除の際に、その名残の豆を見つけたりもしましたね。

“日本一長い”商店街があり、それ以外にも大きな市場がある
生活するのにとても便利な場所で、私は育ちました。

なぜ、市場や商店街が栄えたか。
地元には、大きな川が流れており、流通経路が発達していたため
大阪が「天下の台所」と呼ばれたゆえんの地でもありました。
日本各地から船で運ばれた、様々な食料品を川近くの市場で競り
人々に流通していった場所です。
今は大きなスーパーなどがいくつもたち
市場で買い物をするのは、地元の人でも年末年始のみと
言う方も増えてきました。

“環境のことを考えてエコバックを利用しましょう”
“簡易包装を心懸けましょう”などと、最近よく聞きますが
子供の頃は、みな買い物かごや風呂敷を持って買いにでかけていました。
野菜や魚などは、ほぼ新聞紙でくるみ、水の出るものは
透明ビニールに入れる程度。
お豆腐すら、ボウルを持って買いに行ってました。
野菜などを来るんでいた新聞紙は、ぬらしてちぎって畳の上にまき
掃き掃除をするときのほこり取りに使ったり
ぬらした新聞紙に白菜などをくるんで、冷蔵庫で保管すると
持ちがよかった覚えがあります。

豆まき用の豆も、乾物屋さんや、豆を専門に売っていたお店に
「1升」とか「5合(大阪弁では、“ごんごう”)」とかを
マスで量ってもらって、ボウルやザルに入れて持って帰っていました。

イワシは、節分の前日の夕飯用に焼いたものを
身をほぐしてとりのぞき、飾っていました。
(ただし飾っても、油断すると近所の野良猫や野良犬が
それを取って持って行ってしまうこともありましたが。)

豆まき用の豆が残ると、翌日は祖父が近所の神社に行き
ハトにあげていました。

そう考えると、今のように過剰包装や、食べきれないものを
腐らせたり、捨てたり……なんてことは
ほとんどなかったように思います。

家族数が減ってきていることと、仕事で夜の帰宅が遅く
料理にもそんなに時間をかけられない人が増えて
食材も大量ではなく、少しずつしか買わない。
そんな状況で、少しでも鮮度を保ったまま小分けで
販売することが当たり前になってきています。

買う側だけではなく、“売る”側に立っている方。
今一度、ご検討いただきたいと思います。
「昔は良かった」ではなく、「昔も今も良かった」と
思えることが、一つでも増えてくれると
うれしいですね。