< 今日のこころ >













2009年3月分
2009/ 3/28
先日、インターネットニュースで
中国の“七色の川”というコメントを見つけました。
どんな素晴らしい光景なんだろうと
見てみると…。
工場排水を垂れ流したり、汚水をそのまま川に流している
そのために川の水が汚れ、“水”としては
あり得ない色の“ピンク”や“ブルー”“グリーン”などの
色がついた川の画像がありました。
その汚水は、泡を吹くほどのものもあり
異臭を放っているものもあるそうです。

子供のころ、近くの川へ散歩に行くと
ゴミなどがプカプカ浮いていて
夏場などは、確かに異臭もしていました。
先祖のお墓のある場所近くの川は
祖父は子供のころ、よく水遊びをしていたくらい
きれいだったと聞いていましたが
私の知っているその“川”は
ヘドロのために、底が見えず、時折ぷかっと
大きな気泡が水面に現れ、続いてぼこぼこと
小さめの気泡が出てくる、そんな光景が
あちこちであるような川でした。

それから数十年、近くの川も魚をたくさん見ることが
できるようになり、
祖父が泳いだ川も、ヘドロを少しずつ取り去ったのか
魚の泳いでいる姿が、橋の上からも見えるようになり
川の中程に出来た島のような固まりに
カメも時々、顔をのぞかせるほどになりました。

先に述べた現在の川も、私の見てきた川も
どちらもすぐ近くに人が生活しています。
小さな子供は、その水に触れては危険だと
いうことすらわかりません。
ただ色が美しいとか、簡単な理由で
近づいてしまいます。

その水はいったい、誰が作っているのでしょう?
その水は、どこに流れつくのでしょう?
中国だけの問題ではないでしょう。
日本も過去に、そして今でもどこかで
ある光景かもしれません。

地球は、あと100年で終わりではありません。
もっともっと長生きしてもらわなくては。
そのために、人はどうしていけばいいのでしょうか。
これは、地球が人に出した、大きな宿題ですね。
早く、答えを出さなければいけないような気がします。


2009/ 3/26
いつのまにか、3月もあと数日になりました。
4月は、何かにつけ“新”という言葉がよく登場しますね。
そして、
新しいことに対して、期待でワクワクしている人
ドキドキと不安でいっぱいの人
何をしようか、まだ考え中の人
いつも通りの人
色々な人がいる時期ですね。
新しい環境に身を置くことは、緊張と期待と不安の繰り返しかもしれません。
“楽しい”よりも“辛い”ことの方が多いかもしれません。

私は、いつも辛いこと、悲しいことがあると
こう考えます。
“きっと来年の今頃は、笑っているはず。
この辛い(悲しい)ことも、その頃には
「思い出の一つ」と言えるようになっているさ”と。
そして、同時に、“楽しいこと探し”をするのです。
些細なことでもいいのです。

例えば、道ばたのコンクリートの隙間から
タンポポが、すっくと背筋を伸ばすように
生えていて、黄色の花を咲かそうとしている
光景が目に入ったら「がんばれぇ!!」と
心の中で小さく応援したり
通りすがりのベビーカーの赤ちゃんが
私の方を見て笑った瞬間とか
買い物に行って、店先の電柱に繋がれている
子犬が私を見て、しっぽを振ってくれたとか
信号で止まらずに、スムーズに自宅まで帰れたとか。

現実から目を背けるわけではなく
現実(辛いことや悲しいこと)には、ちゃんと目を向けて
対処しつつ、でもそればかりではへこむ一方ですから
自分の中で、バランスを自分なりに取りながら。

できれば、そういう気分転換になるような
ささやかな、癒しの光景が
町中にあふれる世の中になってくれることを
願っております。


2009/ 3/11
2月のニュースで、漁網にかかったウミガメがいたそうです。
そのウミガメには両前足がなかったそうです。
サメに食いちぎられたとか。
ウミガメの保護を行っている協会が
そのカメを保護し、両前足部分に義足を付けるための
プロジェクトを立ち上げ、基金を募っているそうです。

通常、サメから逃げきることができるスピードで
カメは水中を泳げるのだとか。
ただ、このカメの場合は、両前足がないままだと
普通のカメの6割ほどのスピードしか出ないそうです。
となると、サメに食われてしまう可能性は大。
だから食われないように、義足をつけてあげようと。

個人的な意見になりますが、その考えはどうなのかなぁと
ニュースを見て思いました。

自然界は本来、弱肉強食で食物連鎖の世界です。
弱れば、くわれます。だから自然界の生物は
生命の存続に日々一生懸命です。
でも、どうしても弱る時もあります。
その時は自然界の法則(掟)に従い
その生命を全うする“他の生物の食料となる”ことも
あります。

今回のこの事は、その法則に反するのではないかなぁと
思いました。
弱ったカメを助けることも、もちろんいいことだと思います。
ですが、カメにとってはそれで助かったかもしれませんが
そのカメを捕食する側から見たらどうでしょう?
“生命を存続するためのエサ”が減るのです。
それがサメだから、今回はいいのでしょうか?
では、もし今後、サメが絶滅の危機に陥ったら。
そうすると人間は、カメを捕まえてきて
サメに与えて“種の存続”を保とうとするのでしょうか。

去年くらいに、ある動物番組か何かを見ていた時です。
チータかライオンの親子がいました。
母親一頭と、子供数頭です。その子供のうちの一頭が
生まれた時からなのか、両後ろ足の神経がマヒしているのか
全く動かないのです。歩くのも両前足のみです。
小さな赤ちゃんの時は、段差が有る所や長距離の移動などは
母親が首を加えて移動していたのですが
ある程度大きくなると、自力で這って移動していました。
そして、問題が出てくるのです。
エサや水を求めて、群れで移動しなければいけない時期になるのです。

エサや水がなくなれば、ライオンやチータと言えど
“死”を意味します。群れで移動するのですが
どうしても、他のものより、その子供が遅れてしまいます。
始めは数メートル。崖や段差も越えてゆかなければいけません。
人間のように手が使える訳ではありません。
自力で這い上がるしかありません。
母親や兄弟が代わる代わる、様子を見に戻っていました。
崖にきたとき、兄弟が後ろから頭を使ってその子を
押し上げていました。そうやっていてもいつしか距離は開いていきます。
その子自身も、体力の問題がありました。

母親は何度か戻ったり、振り向いてついてきているかを確認していましたが
とうとう苦渋の決断を下したのか、戻ることも振り向くことも
しなくなりました。それは他の子供や群れを守るためだとのことでした。
歩いても歩いても、群れに追いつかず、鳴いても鳴いても
母も兄弟も戻ってこず。

最後はよく覚えていませんが、その子は、他の生物のエサとなったと思います。
悲しいですが、それが自然界の現実だし、当たり前の風景なのだと
実感しました。
それをもし崩したら。その子がかわいそうだからと助けたら。
生態系が崩れるのではないでしょうか。
一頭を助けるのなら、全部を助けなければいけない。
全部というのは、食物連鎖で関わる全てです。
それが正当だとは思いません。
ただ考えすぎかもしれませんが、ふとそう思いました。


2009/ 3/ 7
ようやくお天気になりましたね。
毎朝、重い体をひきずって、だらだら、ぼーっと
歩いております。

最近、暗いニュースが多く
少々うんざりしてました。
先日も、どんよりした空模様を見上げ
小さくため息をついて、玄関を閉めました。
少し歩くと、なにやらカラフルな小さな集団が
目に入ってきました。
遠足か、園外保育なのでしょうか。
幼稚園くらいの黄色やオレンジやピンクの帽子をかぶった
小さな子供達が、手をつないで二列になり
歩道を歩いてきていました。

なんだか、小さいのですが少し違和感を感じました。
二列の背の高さが違うのです。
よく見ると、年長さんらしき子と
年少さんらしき子がペアを組んで歩いていました。
年長さんが道路側、年少さんが店側。

時折、年少の子がよそ見したり立ち止まったり
肩からかけたカバンが、ずり落ちそうになったり。
それを、年長さんが注意したり、歩くように促したり
肩にかけ直してあげたり。
兄弟ではないのでしょうが、かいがいしく世話をやいている子が
数人いました。

今は少子化で、兄弟がなく、一人っ子が多いと聞きます。
兄弟がいれば「目下のものの世話や面倒を見る」ことが
当たり前のようにできるというか
普段の生活の中で、身についていくと思いますが
それも、昨今では難しい状況。
そんな中で、こういう場面はほほえましく
また、頼もしく思えました。

小学生のころ、自分達の教室とは別の場所も掃除をしました。
音楽室、理科実験室、家庭科室、図工室、各階段横のトイレ
図書室、保健室、視聴覚室などなど。
そういう学年関係なく、共同で使用するところは
各学年から、それぞれ交代で一人ずつ掃除担当が出て
1年生から6年生までの6人で、掃除しました。
6年生が、“誰が、掃く担当で、拭き掃除は誰で
ゴミ集めは誰で、力仕事は6年生で”と割り振り
それに他の子たちが従う。
もし、誰かが掃除をせずにサボっていたら
5年生や6年生が、しっかり注意し、監視やチェックをする。
ほうきでふざけていたら、なぜ「危ない」かを教えて諭す。
上の子が下の子をいじめていたら、なぜいじめるのか
理由を聞いて、いじめをやめさせる。
時には、罰を加えたり。(子供ですから、かわいい罰ですが)

そういう光景が当たり前で育った私にとって
最近のニュースは、悲しく、なぜ小さな命を大切にしないのか
なぜそうせざるを得なかったのかが、考えつかないものばかりです。
そんな中の、先日の場面。
まだまだ日本も、捨てたものではないと信じたいと思いました。